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胡蝶 和もの部屋

第八章 【鷺娘】

2011年7月 1日

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皆様ご存じの[鷺娘]は、歌舞伎舞踊の代表的な人気演目です。

この作品は二代目瀬川菊之丞という役者が、宝暦12年と云いますから、1762年に江戸の市村座で六変化舞踊『柳雛諸鳥囀』(やなぎにひなしょちょうのさえずり)として上演されたのが始めとされています。

雪の降りしきる水辺に、白無垢姿の娘が佇んでいます。白鷺の精です。儚い女心を漂わせて登場する姿が印象的ですね。やがて華やかな姿に変化してゆき、様々な恋心を表現します。やがて娘は鷺の姿となり、叶わぬ恋の闇から[地獄の責め苦]を受け、力尽きるのです。

宗山流胡蝶 鷺娘.JPG

変化に富んだドラマチックな作品ですね。私も子供の頃から多くの名優の[鷺娘]を拝見して憧れて参りました。小学校の頃、立て直す前の新橋演舞場で観た鷺娘。底冷えのする季節と舞台が合い舞ってものすごく感激したのが忘れられません。小学校の卒業の謝恩会で躍らせて頂いて以来、8回程上演させて頂きました。

この作品の難しい処は、[鷺]そのものを踊る…と云う事でないのです。白鷺の精が恋に悩む娘の姿を借りて踊る…といった演じ方でないと、[鳥娘]になってしまってはいけないのです。

宗山流胡蝶 鷺娘白無垢 .jpg

[これは〔アミの鬘〕でのものです。本来は台金の古典の鬘で勤めます]

白無垢で登場する印象的な姿ですが、引き抜きの衣裳を下に着込んでいるため、モコモコとかさ張ってしまって、太めの花嫁状態。いつも鷺娘の白無垢の引き抜きは本当に緊張します。着物だけでなく帯まで変えるために、とても段取りが多く、高度な技術が一瞬にして求められるからです。またこの鷺娘の白無垢は、胡蝶は特に着物の裏の部分まで白無垢で包みこんでいる[袋被せ]という古風な形の厄介な物。

宗山流胡蝶 鷺娘引き抜き.jpg

引き抜いて鮮やかな娘姿になると、パッと衣裳も軽くなり気持ちも晴れやかに踊れます。ここは[クドキ]と云われ、娘の恋心や恥じらいを表現します。

宗山流胡蝶 鷺娘くどき.jpg

ここで、後半戦のために着替えに入ります。地方の生演奏の時は、[合い方]といってこの着替えの間を三味線とお囃子で繋ぐので、華やかでいいのですが、音源[録音音源]で上演するときは、舞台が無人になって、いかにも着替えの間がしらけるのが嫌で、胡蝶の演出は[雪の精]を出して踊りで繋ぎます。

宗山流要 宗山流扇 鷺娘雪の精.jpg

要、扇の[雪の精]とても評判が良かったですよ。[あくまでも胡蝶の演出で、邪道とお叱りを受けてしまうかもしれませ~ん!]

後半は、最後の鷺の羽を刺繍した衣裳まで、襦袢を合わせると5枚もの衣裳を着込んでいるために、もうブクブクの椋鳥、ラグビー選手状態。北京ダック状態です。コロコロとしてとても踊り辛いんです。どんなにシェイプアップしようとも、この衣裳でスッキリ見えるのは難しいんですっ!

宗山流胡蝶 鷺娘須磨.jpg

又もや引き抜き[傘づくし]を軽快に踊ります。この時、登場時に使用していた[絹張り]の傘から、[紙張り]の傘に取り換えています。傘の影で引き抜くために透けて見えないようにする工夫です。

宗山流胡蝶 鷺娘明治座舞台面.jpg

[傘づくし]の後半から体力の貯蓄が怪しくなってきます。

上半身を緋縮緬の襦袢に肌脱ぎした姿は、胡蝶は鷺娘のうちでも、艶麗で最も好きなシーンです。

宗山流胡蝶 鷺娘 添うも.jpg

ここから一気に地獄の責め苦に展開してゆきます。

[ぶっ返り]という引き抜きの手法で、上半身鷺の羽の衣裳になり、切ない羽ばたきを表現します。

宗山流胡蝶 鷺娘責め.jpgのサムネール画像

花道七三での[海老反り]は胡蝶の演出です。この頃には体力、気力共に消え失せ、[神様]と[お客様]の声援にのみ支えられています。この作品は[踊る]事と[演じる]事が深く絡み合った演目で、毎回新たな発見のある奥の深い曲です。踊りに没頭しすぎると色々な[仕掛け]や[段取り]がおろそかになったり、冷静に踊り過ぎると[しらじらしい娘]になってしまうという難しいものですね。

現在着用している鷺娘の衣裳は明治座公演の折に胡蝶がデザインさせて頂いて、新調したものです。

この作品の特徴は、[古典]でありながら、古風な仲に[古臭い]感じのしない[透明感]をもった作品であり、現代においても共感をいただける[トラマ]があるからこその人気曲なのでしょうね。

 

【胡蝶の鷺娘上演記録】

昭和52年3月20日 清島小学校謝恩会

昭和57年8月22日 青山草月ホール

平成10年3月20日 浅草公会堂

平成17年5月1日     明治座 [猿若清方振付け]

平成17年11月4日 浅草公会堂

平成19年6月17日   高知カルポート

平成19年7月1日     北千住シアター1010

平成22年11月19日 浅草公会堂

平成23年9月24日   国立大劇場[予定]

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このぼやけている写真は胡蝶が17歳の時に踊った時のものです。懐かしくて恥ずかしいです。

これからも体力の続く限り挑戦させて頂きます。

 

【長唄鷺娘歌詞】〽妄執の雲晴れやらぬ朧夜の恋に迷いし我が心〽吹けども傘に雪もつて 積もる思ひは泡雪の 消えてはかなき恋路とや 思い重なる胸の闇 せめてあはれと夕ぐれに ちらちら雪に濡鷺のしょんぼりと可愛らし 迷ふ心の細流れちょろちょろ水の一筋に 恨みの外は白鷺の 水になれたる足どりも 〽濡れて雫と消ゆるもの 我は泪に乾く間も 袖干しあえぬ月影に 忍ぶその夜の話を捨てて 縁を結ぶの神さんに取り上げられし嬉しさも余る色香の恥ずかしや 〽須磨の浦辺で汐汲むよりも 君の心は汲みにくいさりとは実に誠と思はんせ  〽繻子の袴の襞とるよりも 主の心が取りにくい さりとは実に誠と思はんせしやほんにえ 〽恋に心もうつろひし 花の吹雪の散りかかり 払ふも惜しき〽袖傘や 傘をや傘をさすならば てんてんてん日照傘 それえそれえ 差し掛けていざさらば 花見にごんせ吉野山それえそれえ 匂ひ桜の花笠 縁と月日の廻りくるくる車笠 それそれそれさうじゃえ それが浮名の端となる 〽添ふも添はれずあまつさえ 邪慳の刃に先立ちて この世からさえ剣の山 〽一樹の内に恐ろしや 地獄の有様ことごとく 罪を糺して閻王の鉄杖まさにありありと 等活畜生衆生地獄 あるいは叫喚大叫喚 修羅の太鼓は隙もなく 〽獄卒四方に群がりて 鉄杖振り上げ鉄の 牙噛み鳴らしぼつ立てぼつ立て 二六時中がその間 くるりくるり追ひ廻り追い廻り 終にこの身はひしひしひし 憐れみたまえ我が憂身 語るも泪なりけらし 

第七章 【かつら・其の二】[網の鬘]

2011年6月26日

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前回の[和もの部屋]は、[旧の鬘]でした。

今回は現在、舞踊や芝居の舞台で主流となっている[網の鬘]についてご案内いたしましょう。

前項で御案内いたしましたように、ほぼ江戸時代には確立されていたという、旧の羽二重のかつらは、明治、大正、昭和初期まで、[新派]の舞台にも使用されて来ました。ところが、歌舞伎[旧劇]に対して、より自然な日常を表現したいという役者の工夫から、生え際の改良が始まったようです。

よく花嫁さんの鬘や、古い新派の写真等に見られる[焼き出し]という鬘は、生え際の不自然さを隠すために、顔周りの鬢、前髪の毛を額やほっぺたが隠れる程グッと前に張り出させて結い上げました。当時としては一歩前進と思われたこの[焼き出し]も、[粋]を表現するには限界がありました。どうしてもモッサリとせり出した鬢の毛が美しさの妨げとなる事に気付き始めたのです。そこで新派の名女形[河合武雄]らが開発を推し進めたのが[網の鬘]や[付け睫毛]です。

宗山流胡蝶 日本鬘.JPG

[網の鬘]はセルロイド製の網に、人毛を一本づつ植えたものでした。

この[網の鬘]のは、その後も改良が重ねられ、新派の芝居造りに欠かせない程の視覚的効果を生んだと云われています。舞踊の世界でも同様に表現の幅が広がりました。特に日本舞踊の世界では、歌舞伎舞踊の古典は[旧の鬘]。明治以降に造られた作品や、座敷舞や花柳界からの流れを引く分野の地唄舞等には[網の鬘]が用いられています。

宗山流胡蝶 遊女松山 日本髪 新舞踊.jpg

[網の鬘]の命は、何と言っても[自然に見える生え際]です。逆に云えば、[不自然なほど美しい生え際]ともいえるでしょうか…。こんなに綺麗な、左右対称の美しい富士額。ありえませんね!

舞踊の役創りには、[なりきる]事が不可欠。美しい生え際は美の世界へ我々を連れて行ってくれる切符のようなものです。

宗山流胡蝶 関東春雨傘.jpg

その後、きれいに毛の手植えされたセルロイドの網を特殊な薬液に浸ける事により、網の強度を増したり、網に植えられた毛の根元をきちんと立たせる技術等が進歩。職人さん達の執念と先人の工夫で現在の精緻な[網の鬘]が出来あがったのです。

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毛の色も、従来の真っ黒ではなく、より自然色の毛も工夫されて、より磨きが掛った鬘が造られています。

あまり、鬢付け油を廻さずに仕上げる[洗い髪]等、かつら職人と床山の腕の見せ所が結集して実現する美しい鬘。胡蝶もこの[網の鬘]への憧れと拘りから抜け出せずに今日まで来てしまいました。

宗山流胡蝶 シニョン.JPG

特に、[洋髪]の[夜会巻き]や[シニョン]等には薄い網を使用して、生え際も繊細に植えてもらいます。

その役々にょって、網の厚さも、生え際の植え方も違うのです。

舞踊の表現を追求していく上で欠かすことの出来ない鬘は、[旧の鬘][網の鬘]と共に今後も進化し続けて行きます。 

第六章 【かつら・其の一】[旧の鬘]

2011年3月28日

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日本髪の鬘は歌舞伎をはじめ、舞踊、芝居の舞台に不可欠なものです。特に演者にとっては役創りの上で衣裳と並び、大きな位置を占めます。胡蝶も十代の頃から日本髪の鬘に関しては異常な程の執着がありました。

よく鬘は[床山]さんが全て造り上げると思いこまれている方がほとんどですが、実は鬘は、鬘の土台(鬘の本体)を製作する[鬘師]さんと、そのかつらを結い上げる[床山]さんとの分業で造られています。

現在ではあまり細かい事に拘らず大、中、小で帽子のように安易にかぶるスタイルの日本髪もあるようですが、それではいけません。

[鬘合わせ]をするのは[鬘師]さんです。一人一人の演者の頭に合わせてまず土台の形を合わせて、踊っている時に脱げないようにしっかりとフイットしつつ、長時間被っていても痛くならない事が望まれる大切な技術です。

次に[クリ]を拵えます。[クリ]とは白塗り美人の決め手となる鬘の[生え際]を決める作業です。美人になるかどおかは、ここでほぼ決まってしまうと云っても過言ではありません。鬘の[素を合わせる]と云われるここまでが[鬘師]さんの仕事です。こうして出来た鬘は[床山]さんの手によって、その都度、その役々の髪型に結い上げられ、飾り付けられて仕上げです。もちろん出番前に演者に鬘を乗せるのも[鬘師]さんです。

余談になりますが、よく業界通ぶった方(失礼な役者共)が、鬘のことを[ヅラ]などと云っているのを聞きますが、トンデモナイ事です。『○×はヅラが良く似合う役者だ…、』なんて言語道断。下品な云い回しです。歌舞伎や舞踊の世界では床山さんに[頭(あたま)を頂戴いたします…、]というくらい、鬘とその床山さんの技術に対して敬意を表しています。鬘がなければ我々は役に成り切ることも、舞台に出る事も出来ないのです。

鬘のこだわり話しは尽きませんが、今回は舞台の女形鬘の大きな二種類の系統のうち、古典的な[旧の鬘]についてお話ししましょう。

舞台の鬘は大きく分けて[旧の鬘=羽二重のかつら]と[網のかつら]の二種類に分類されます。

宗山流胡蝶 鷺娘胡蝶台金鬘.JPG

[鷺娘]の高結綿 という特殊な形。

写真の鬘は[旧の鬘=羽二重のかつら]です。旧の鬘とは主に歌舞伎、歌舞伎舞踊で使用されます。江戸時代に開発された技術で造られています。[クリ(生え際の輪郭)]そのものを銅板で型取り、その銅製の土台に人毛を手植えした[羽二重]の布で包みこむように張り付けて造られています。ですから、[クリ]のラインが、近くで見るとくっきりとしていて、[被っています感]が見て取れます。使用されている人毛も、漆黒に染められていてます。結い込みも、キッパリとした鬢(ビン)の張りと丸み、前髪の立ち上がり、こよなく丸みを帯びたタボ、ふっくらとした髷等、業業(ぎょうぎょう) しいほどの押し出しです。きっと江戸時代から、男性の無骨な骨格や輪郭を華奢に魅せるための歌舞伎の工夫が昇華された技術なのでしょうね。この黒々とした存在感と、古風な様式美こそが[旧の鬘]の価値です。

宗山流胡蝶 鷺娘 添うも.jpg

凄ごみを際立たせる[漆黒の毛艶]が命の[鷺娘]後半の[結綿さばき] 

胡蝶も、演目としては古典の[道成寺]や[鷺娘]、奥庭の[八重垣姫][静御前]等の歌舞伎舞踊やお芝居の時だけに限って使用しています。下の写真の歌舞伎[与話情浮名横櫛]のお富も典型的な[旧の鬘]です。

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洗い髪で有名なお富の[馬の尻尾]という粋な髪型。

 

宗山流胡蝶 吉野山静御前に扮する.jpg

 胡蝶にしては珍しい赤姫[静御前]の[吹き輪]という、歌舞伎の姫の髪型。

日頃皆さんが目にする[網の鬘]と違い、古風で何となく[いかつい]感じすら漂う[旧の鬘=羽二重のかつら]は[いかにも…]という見た目が大切なんです。江戸の日常をデフォルメして、どこまでも[様式美]を追求した結髪の技術は、歌舞伎、古典舞踊の世界にのみ、その姿を残しています。

 宗山流胡蝶 京鹿子娘道成寺振り鼓.JPG

何といっても、[旧の鬘]の王道、京鹿子娘道成寺、花子の[中高島田]です。女形鬘を代表する形。

流石、床山[木下幹夫]師の極上の技が冴えた傑作です。 

次回は[網の鬘]についてお話しましょうね。

第五章 胡蝶の【地唄舞・雪】

2011年3月26日

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地唄舞は[上方舞]が源流です。

上方舞(かみがたまい)は、江戸時代の中期(1800年頃)から末期にかけて上方(関西)で発生した日本舞踊の一種です。屏風を立てたお座敷で舞う素踊りが基本でした。源流は御殿舞や能を基本にした静的な舞に、人形浄瑠璃や歌舞伎の要素を取り入れた、しっとりとした内面的な舞い方が特徴です。歌舞伎舞踊より抽象的で単純化された舞踊表現ですね。伴奏は地唄が用いられることが多い事から[地唄舞]と呼ばれています。

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戦後、[武原はん]師が、元々限られた宴席での[座敷舞]だった[地唄舞]を東京進出とともに大劇場での上演、観賞に相応しいまでの[舞台の地唄舞]に昇華させ、現在の[地唄舞]にまで仕立て上げました。

その名手[武原はん]の[雪]は、まさに一世を風靡した生涯の代表作でした。胡蝶も子供の頃から、“はんさん”の雪として憧れていました。

この[雪]という作品は、地唄舞の内でも艶物(つやもの)と云われる、女舞の色っぽい情緒のある作品の頂点。

大坂新地の芸妓ソセキは、愛しい男に捨てられ出家しました。雪の降る夜の一人寝に、浮世を思い出し涙する、という内容です。

今は出家して清い境地にいることを「花も雪も払えば清き袂(たもと)かな」という名文句で始まります。

胡蝶も[雪]にはとっても思い出があります。

ある時、胡蝶が雪を舞ってみたい…、と日本大学芸術学部長、目代清先生に御相談した処、目代先生より、『あなたらしい[雪]を見せて頂戴ね…』とのお言葉を頂戴いたしました。この言葉を旨に一年がかりで創作致しました。

従来の[雪]は、髪型は[丸髷]に衣裳は裾引きに帯は[角出し]に結ぶ、上方舞のオーソドックスなスタイルでの上演が一般的ですが…

私はこれまでの[地唄舞・雪]の固定概念を打ち崩したスタイルで構成しました。

 宗山流胡蝶 地唄舞雪.jpgのサムネール画像

[夜会巻き]に[お太鼓]という、新派の様式で[明治]の風情に置き換えてのスタイルです。

着物の裾は、銀鼠にぼかし下ろし、雪の歌詞[花も雪も払えば清き袂かな…]と友禅にて書き散らせて、桜の花びらを染め抜きました。淡色の質素な中に、清潔感のある白が際立つ意匠を考案しました。帯は[如源]の黒繻子の本丸帯。繻子のしっとりとした光沢は独特です。

[地味だ、][喪服だ]といった御意見も沢山頂戴いたしましたが、胡蝶の[雪]の世界です。

絹張りの傘も、白無垢の[2尺1寸]の特別誂え。並はずれた大振りに拵えて頂きました。

初演は[邦楽と舞踊]主催の[日本舞踊大会]国立小劇場。奇しくも[目代清先生追善]の会に胡蝶は[雪]で参加させて頂きました。

抑制された地唄舞の表現、限界のリアル感は [抽象的で単純化された舞踊表現]との胡蝶の大勝負。

とてつもなく長い16分であり、無我夢中、一瞬の16分でした。初演の時は舞台での事は何も覚えていません。何と、自分でも驚きの[奨励賞]を頂戴いたしました。一生の思い出の一つです。

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あれから、節目節目の舞台の折には胡蝶の[雪]を上演させて頂いています。何度舞わせて頂いても完成の見えない、果てしない演目です。一生の課題曲の一曲です。

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第46回東京新聞主催・推薦名流舞踊大会・於国立大劇場

大劇場の大ホリ、奥行きいっぱいに立て廻した八双の銀屏風。これが演りたかったんです…。

演奏は人間国宝、富山清琴先生、胡弓は御子息、富山清仁さん。極上の[演奏]でした。

 

胡蝶の演出の幕切れは、黒の羽織を左肩から袈裟掛けに羽織り、[尼]になって出家したという思い入れで、尼僧の袈裟に見立てての立ち姿で片手拝みの舞い納めとなります。

地唄舞雪胡蝶幕切れ.JPG

 

【胡蝶・雪の主な上演記録】

平成15年7月21日[日本舞踊大会]国立小劇場

平成16年11月3日[清流会] 浅草公会堂

平成17年6月[愛知万博・愛地球博]日本館

平成17年12月25日[胡蝶リサイタル]明治座

平成18年6月4日[父一周忌追善胡蝶華舞台]高知 

平成18年12月18日[玉手箱の会]イイノホール

平成19年6月24日[胡蝶華舞台]京都先斗町歌舞練場

平成22年9月20日[推薦名流舞踊大会] 国立大劇場 

平成23年10月16日[和リーグ日本公演]小山町総合文化会館

平成23年10月21日[和リーグヨーロッパ公演]ルクセンブルグ 

平成23年10月23日[和リーグヨーロッパ公演]ジュネーブ ジュネーブしししし

平成23年10月25日[和リーグヨーロッパ公演]ローザンヌ ろーろー絽絽ろろろろろろろろろろろろろろらちにとしなずめろ

平成23年10月27日[和リーグヨーロッパ公演]チューリッヒ 

平成24年9月6日[第60回華扇会] 国立大劇場  

 

[地唄]の演奏もその都度、富山清琴先生(人間国宝)、富田清邦先生、菊原 光治先生と、当代超一流の先生の演奏にて舞わせていただけました事は何よりの光栄です。先生方の素晴らしい演奏に恥じぬ胡蝶の[雪]を一生勉強させて頂き、舞い続けさせて頂きたいと存じます。 

 黒繻子の如源の帯胡蝶金錂.JPG

黒繻子のお太鼓の垂れはもちろん[如源]です。それも何と[胡蝶]の朱織り出しの特別誂えです。

※[親衛隊・小林益子誂製]

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第60回 舞踊華扇会 国立大劇場

第60回報知新聞 舞踊華扇会[雪]宗山流胡蝶.JPG

 

【地唄雪歌詞】

〽花も雪も払へば清き袂かな
ほんに昔のむかしのことよ
わが待つ人も我を待ちけん
〽鴛鴦の雄鳥にもの思ひ
羽の凍る衾に鳴く音もさぞな
さなきだに心も遠き夜半の鐘
〽聞くも淋しきひとり寝の
枕に響く霰の音も
もしやといつそせきかねて
〽落つる涙のつららより
つらき命は惜しからねども
恋しき人は罪深く
思はぬことのかなしさに
捨てた憂き捨てた憂き世の山葛[やまかづら] 

第四章 胡蝶の【新舞踊・其の一】

2011年2月16日

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新舞踊と云うと、主に歌謡曲、演歌に振付をして踊る[歌謡舞踊]というイメージが定着しています。

大正期に坪内逍遥先生、小山内薫先生らが提唱された[新舞踊運動]は、伝統的な旧劇[歌舞伎舞踊]に対して、新規な感覚、視点からなる[舞踊家の”振付をし、演じる”]というスタンスを確立するものでした。当時はとても新鮮で様々な試みが行われたようですが、平成の現在となってはその当時の作品も[古典]となってしまいました。

私が幼少時代。歌舞伎も文楽も、能、新派、宝塚に至るまで[綺麗]な舞台に憧れて見続けていた頃…。これが古典で、これが新舞踊という視点では舞台を観ていませんでしたね。ただ、強烈に印象に残るのが、東宝歌舞伎の長谷川和夫先生の舞台。生のオーケストラの楽曲に、生演奏の長唄、鳴り物のコラボレーションで繰り広げられた劇中劇の[鷺娘]や義太夫の[櫓のお七]の艶やかでテンションの高い事ったら…。古典の[鷺娘]や[お七]では味わえない感動。それから美空ひばり公演での[車やさん]や[関東春雨傘]を唄いつつ踊るひばりさんの艶やかさは今でも忘れられません。

胡蝶が子供の時分、新舞踊は大流行した一方で[レコード舞踊]と云われ馬鹿にもされていました。あくまでも[古典舞踊]が素晴らしくて、[歌謡舞踊]は素人のお楽しみという位置付けでした。下町の踊りのお師匠さんなんか、[レコード舞踊]を教えるときは、ご近所にバレないように雨戸を閉めてお稽古した…、なんて嘘みたいな本当の話しもあるんですよ。

胡蝶も幼い頃から古典[藤間流]でお稽古させて頂いて来ましたが、[歌謡舞踊]も大好きでした。むしろ古典より魅力を感じていたと思います。

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森進一さんの[北の蛍]は胡蝶の新舞踊の第一歩でした。

子供の頃から愛してやまなかった古布、時代友禅を剥ぎ合わせた衣裳を仕立てて着用しました。

 

古典とは違い[決まりの衣裳]というものに拘ることなく、自由な発想で役柄を創作。衣裳、鬘はすべてオリジナルで演じる事が出来る事が、[創作]の最大の魅力です。

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これは[隠れ切支丹]を題材にイメージを膨らませて創作した[長崎、出島の遊女]という設定。軍服をヒントに胡蝶としては相当ブッ飛んだ発想で誂えた衣裳でしたが、大変好評でしたよ。

もちろん歌舞伎も古典舞踊もお勉強させて頂いておりますから、大好きです。そして、[歌謡舞踊]も同じく愛しています。

古典も新舞踊も[日本の舞踊]です。[古典が上で新舞踊が下]この偏見、何とかしたいですよ!んまったく。

古典舞踊が素晴らしいのはその代々の名人が受け継ぎ、磨き、改良に改良を重ねてきた演目一つ一つにあるのだと思います。決して、古典舞踊をお稽古なさっている方が偉くて、新舞踊を習っている人が[下]ではないのです。

とっても勘違いなさっている古典舞踊のお弟子さん方が多いのです。

技術の伴わない[古典舞踊]より[素晴らしい新舞踊]も世の中には沢山ある事を御理解いただきたいですね!

[素晴らしい古典舞踊]なんて、歌舞伎役者か、ほんの一部の一流の舞踊家先生だけで、世に蔓延している古典のお浚いでは[素晴らしい古典舞踊]は皆無。これが現実ですよっ!

これからも益々[日本の踊り・新舞踊]を多角的に御紹介しましょうね!

〔どんどん続く〕 

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細川たかしの名曲[女のしぐれ]の創作衣裳。

第三章 【お梶】

2010年12月 4日

歌謡舞踊の人気曲と云えば何と言っても[お梶]でしょう。私も何度も上演させて頂きましたが、とても奥の深い難しい演目です。

 行燈お梶

[お梶]をより深く楽しんで頂くために、まずこの物語のあらすじをご説明しましょう。

この作品は「文芸春秋」の創刊でも知られる[菊池寛]原作の[藤十郎の恋]を題材にしたものです。元禄時代、稀代の人気役者坂田藤十郎は只ならぬ芸熱心。近松門左衛門書き下ろしの[大経師昔暦]という、おさん茂兵衛の[不倫=不義]をテーマにした演目の役作りに苦悩します。江戸の当時[不義]は大罪だったんですっ。[不義]の経験の無い藤十郎は困り果てます。そこに幼馴染の[お梶]が浮上します。お梶は祇園の料亭[宗清]の女将で、幼馴染の藤十郎に心の奥底で想いを寄せていたのです。そこで藤十郎は、お梶に偽りの恋心を伝えます。実直で貞女のお梶は苦悩します。呼び出した座敷きに訪れたお梶の[後ろめたさ]を含んだ女の表情をつぶさに見取った藤十郎は梅の香りの漂う夜の闇に去ってゆきました。お梶は、[芸の工夫]の為の偽りの[口説き]だと知ったと気づきます。お梶は、一瞬でも亭主を裏切り不義をしようとした自分の心を責めて自害してしまいます…。どうです、この純情。この貞節。こんな凄い話だったんですよ、お梶は。

 先笄

皆さん、ちゃんと理解して踊って下さいませよ。芸者みたいな扮装のお梶やら、[天紅]の手紙をなびかせて踊りまくっているお梶をよく拝見しますが…。【絶句】確かに[島津亜矢]さんのこの曲は、情熱的で色っぽく歌っていますから、くねくねと踊りたいのは理解できますが、[天紅]の手紙は遊女がお客の気を引くために、手紙の上辺に[口紅をつけて男の気を引く]ための行為が小道具として定着したものです。料亭[宗清]の女将や、娘の[お染]や[八百屋お七]が遊女でもあるまいし[天紅]の手紙を持つなんて…。【絶対ありえません!】芸者が持つのも違和感ありますよ、胡蝶は。

私のお梶の衣裳はその時の気分で変えています。それこそ地味な小紋と云うよりは、色気のある[裾模様]と小紋を組み合わせたようなものが好きです。帯結びは手結びの[一文字]です。これもよく[角出し]に締めているお梶を見かけますが、いけません。時代考証が違い過ぎ。近松門左衛門の時代の[女将][人妻]系の女性はすっきりとした[一文字]が良いですね。清潔感の中に凛とした色気があって。私のお梶は座敷に入ってくる風情を[前掛け]で表現しています。[女将]と[働く女]の感じが何とも言えないでしょっ…!

 剃刀

この写真は、時代縮緬で作った[前掛け]と幕切れに使用する[剃刀]です。これは後ろの御客様にも良く解るように、照明で[ギラリ]と光るようにプラチナで特別に誂えました。見た目より重いんですよ。昔の女性はこの剃刀を赤い[紅絹の布]に包んで鏡台に忍ばせていました。大切なお化粧道具であり、[守り刀]的なものでもあったと思われます。色っぽい。

歌詞のセリフに『二つに重ねて、切り刻まれて、あの世とやらへ堕ちましょう、嬉しい、嬉しい…、』とあります。どうです、この凄まじい情念。二つに重ねて、切り刻まれてとは[不義密通]は当時[姦通罪(かんつうざい)]といって、見せしめの為、河原の刑場で二人重ねられて…、という意味。この覚悟、脱帽。合掌。

髪型は関西風の上げ鬢の[先笄]というもの。独特でしょ。胡蝶は自分の好みで[三つ輪]という髪型に結っている事もあります。

一途な女心、[女心をもてあそび、奈落に落として消えた人、憎いの、憎いの、憎い恋しい、女泣かせの藤十郎]是非[お梶]ご堪能下さいまし。 

第二章 【芸者 其の一 黒芸者】

2010年12月 1日

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我々日本人に限らず、海外の方も含めて日本の女性像をイメージするときに必ず上位に位置するのが[芸者]です。

特に新舞踊を習い始めるきっかけが『粋な芸者姿に憧れて…』と云う方が少なくありません。黒の紋付の裾引きの衣裳にちらりと覗く[緋縮緬]の襦袢、柳に締めた博多帯の印象が圧倒的ですね。

 宗山流胡蝶 新六段くずし 芸者

そもそもこの[芸者]という職業の女性、江戸後期から明治、大正、昭和にかけて江戸花街をはじめ全国の盛り場や温泉場に存在しました。特に江戸の芸者は[粋]と[気風の良さ]を売り物として、艶やかな舞いや三味線をはじめとする歌舞音曲の芸事を披露して酒席を接待していました。俗に云う[遊女]とは異なり[芸]と[心意気]を売り物にしていたのが[芸者]とされています。明治になると[仕込み]制度が通例化して[お酌]や[半玉]と呼ばれる芸者見習いの振袖娘も座敷に初々しさを添えました。芸者の座敷料金を[玉代]と云った事から、半人前の仕込み娘を[半玉(はんぎょく)]と呼びました。又関西では[芸者]は[芸妓(げいこ)]、[半玉]は[舞妓(まいこ)]と呼ばれています。

 

俗に舞踊の世界では[黒芸者]と呼んでいるのが、黒の紋付を着ている役柄のものです。花柳界では[出の支度]と云って、正月や特別な宴席、ピップを迎えての座敷等で着用する芸者の[正装]なのです。特に大人数の芸者が黒の正装で勢揃いした処は圧巻ですね。歌舞伎ではあまりない事ですが、新派の口上や私ども宗山流ではお馴染の景色です。又、お祭りに登場する芸者も黒の正装で御祭禮に花を添えます。

 黒芸者

女学生といえば多くの方が[セーラー服]をイメージするように、芸者と云えば[黒のお引きずり姿]になったのでしょう。

でも芸者だから[黒紋付]ばかりではない事も知っておいて頂きたい事です。演目によっては縞や小紋といったあっさりとした引き着で演じる[普段着の芸者]を演出したものや、[色紋付]の[色芸者]という衣裳の演目も多々あります。かえって[黒紋付の]芸者役は限られた少数の演目で、縞や色物の裾模様を着た演目の方が多いのが実情です。帯結びは江戸の芸者特有の[柳]と云う極シンプルな形を基本として、[角出し]も多く見られます。絶対やってほしくない事は(※胡蝶論)黒の紋付の衣裳の時に[柳]以外の[角出し]を結ぶ事は[野暮]と云う事。ただし関西の芸妓の結ぶお太鼓の変形[重箱結び]は別物です。又、胡蝶は新舞踊演目に限り、時に[お太鼓]を締める事もあります。

 

最近新舞踊の舞台で、婚礼用の普通の黒留袖を、[おはしょり]に着て赤いベンベルグのお腰をこれ見よがしに見せて、柳を結んでいる方々を本当によく見かけますが、ありえません。単にお太鼓がほどけて落っこちているようにしか見えず[粋]どころか、だらしがなく[不粋]です。婚礼に出席した親戚のおばちゃまが乱心したようですから…。

宗山流胡蝶 芸者.jpg

芸者の着付け、着こなしや髪型については、芸者 其の二以降も続きまーす。

芸者に関してはうるさいですよ、胡蝶は…。 

第一章 【如源 - 其の一】

2010年11月28日

 

[如源]と書いて[にょげん]と呼びます。これはアンイィークの黒繻子の帯地の垂れ先に見られる、当時の織元のいわばブランドのロゴ、シンボルマークの様なものです。明治から昭和初期にかけて、[昼夜帯]という、裏表の素材、色柄の違った生地で仕立てられた、いわば[リバーシブル]の帯が大流行していました。片面は友禅や型染めといった染め物が多く、裏は黒繻子というコントラストで、昼の明るい友禅に対して、暗い夜を黒繻子にたとえて[昼夜帯]と呼びました。別名[腹合わせ]ともいいます。この昼夜帯の繻子裏として特に花柳界、粋筋の女性の人気を集めたのが[如源]の黒繻子です。実は、私胡蝶は子供の頃からの[如源フェチ]であります。如源を目にすると我を忘れて頬スリスリ…、抱きしめて、撫でたくなるのです。如源裏の帯の収集数知れず、如源研究の第一人者を勝手に名乗っております。そこで[胡蝶和もの部屋]の第一章は[如源]の源流を語らせて頂きましょう。

如源

 

実はこの[如源]なる繻子地は中国産でした。中国の絹織物は、日本の絹織物より糸が細く、しなやかで繊細な光沢が特徴でした。そこで中国渡りの[支那繻子、チャイナシルク]として当時、舶来の帯裏として珍重されました。中国も帯裏としてしっかりとした張りも必要との事で、経糸に綿を使ったものもあり、横糸はしなやかな漆黒の絹糸で、日本向けの輸出品として完成度が高まっていきました。ですから、如源裏の昼夜帯には、それなりの凝った、上等な表地との組み合わせのものが多いのです。

胡蝶の愛する帯の垂れの織り出し部分に、堂々と[如源]の二文字、その右に朱の印の織出しは[金錂]の文字を唐草で囲んだデザインを浮き織にして、左に[認明天益王鶴壽製]の云われ書き、二本の織止め線を赤玉虫で通してあります。この、金錂の朱印が黒の艶に映える事から、粋筋の方に特に好まれたものと思われます。粋筋の方は、黒の繻子の丸帯で、朱の織出しのまま喪服としても、当たり前のように〆めました。黒喪服に、お太鼓タレの朱が映えてそれはそれは古風な色気を醸し出します。ちなみに私も喪服にでも〆めてますよ。如源の繻子は、中国で昭和初期まで、日本向けに生産、輸入されていました。その後、日本の老舗[龍村]が、国産の繻子裏として如源の織出しをつけて生産した時期があると、龍村の御子息から伺った事がありますが、かえって龍村製の物が、変に仰々しく高級品となってしまい、昔ながらの支那繻子としての中国産の方が値段等の面も含めて使い勝手が良かったらしく、龍村は日本製如源の生産を止めてしまったようです。ですから、現在リサイクル等でたまたま入手出来る如源の帯は、百年近く昔に造られたものばかりです。

 如源帯 宗山流胡蝶所蔵

[※昔の文体ですから実物は[源如]とありますが[げんにょ]ではありません。]

 

如源昼夜帯 弁慶格子 宗山流胡蝶所蔵.JPG

如源これは歌舞伎の勧進帳の弁慶の衣裳で造った弁慶格子の如源昼夜帯。お気に入りの一本です。

 。。の話は尽きませんが、二之巻以降もお楽しみに。 

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